人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いいことも、わるいことも、なかったことにしたくない。


by misakikomatsu

苦手なことほど天職だ

サービス業、二度とやるまいと思ってました。

ほぼずっと立ち仕事、拘束時間も長い、愛想が大事、機転が大事、理不尽な目にも遭う…etc

でも最近思う。
「本当に苦手(向いていない)ことと苦手意識は違う」のではないか。
そして、「苦手意識」を抱いてる職業って、実は自分に向いてる職業なんじゃないか。

仕事に対する「苦手意識」は、「その仕事において求められるスキル」を理解していることの裏返しではないかと思います。サービス業に関して言えば(何事もそうかもしれないけど)、さっき言ったような肉体的・時間的な負担、自分のコンディションに関わらず相手に奉仕しうる我慢強さや利他心、理不尽に耐えるメンタルタフネス…「こういう要素が必要なんだろうな~」って思うわけです。そして「あー嫌だ嫌だ。私には無理。そういうの苦手」ってなる。

でもそういう人が実際にサービス業に就いた時、その人は最初から、仕事で必要な要素をある程度理解している。理解していれば、そうでない人よりも望ましい対応を考えて、適応できる。結果として、ある程度は評価される人になっていく。そのサイクルが早いと思う。
…気がする。
少なくとも、私が現在サービス業をしていてなんとかやっていけているのは、そういう理由があるからだと思う。
特に私は普段あんまり愛想がないので、仕事のときだけはスイッチONでいなければという集中力が発揮できる。普段OFFな分、振り切れるから、なかなかナイススマイル(だといいな)。
クレームが恐いので、いかなる時も慎重に丁寧にあろうと心がけられる。本当はビビりなだけなんだけど、そのおかげでクレームは避けられてると思う。

翻って、求められるスキルを理解しているか否かによらず、どーしても望ましい対応ができないなら、そりゃ向いてないってことだと思う。本当に苦手なんだと思う。それなら無理することはないよね。違う選択肢を探るのがいいと思います。


ある職業、人でもいいや、色んな対象に抱いてる”苦手…”っていう気持ちは、もしかしたら、対象を理解した上で適切な行動ができる才能かもしれない。

なんて考えています。
# by misakikomatsu | 2014-01-29 21:23 | サービス業万歳

生涯サービスパーソン

もう絶対やらないと思っていたサービス業界に舞い戻り、はや9ヶ月。
サービス業はやっぱり、割と長時間労働、割と肉体労働、割と低く見られがちな立場だな、ということをつくづく感じています。
お客様からの「ありがとう」やお客様の笑顔には、私も人並みにやりがいやエネルギーをいただいています。
けれども同時に、私を駆り立てているのは、結婚して家庭を支えなければならないという義務&責任感、そしてそのために「一銭でも多く稼ぐ!!」というある種のがめつさであったりもするのです。
まぁ後者の理由は言えば角が立つこともありますので、そうそう口には出しませんが。
ありがとうや笑顔だけじゃ財布もお腹も膨らまないですよ。

だけど、そういう綺麗じゃない部分も含めて、サービス業界というのは私にとって愛すべき、かつ関心の対象になりつつあります。
色んな矛盾をはらんでるからですかね。矛盾をはらんだ存在っていとおしいです。
それにやっぱり、自分が誰かを快い気持ちにしている、っていうのは単純に嬉しい。
おそらく私は、この先一生、なんらかの形でサービスに関わっていくと思う。

ライターとしては、「こんな毎日忙しくて、文章なんか書けないしまともに考え事もできないよ!!」って思って悩んでいたけど、今携わっている仕事についてなら、いくらでも書けることはあるなぁと思い。

サービス業がもっと尊敬されるような業界になればいいのに。
特に女性が、結婚・出産なんのそので働き続けられるようになればいいのに。

そんな想いで、仕事についてアレコレ書いていきたいと思います。
# by misakikomatsu | 2014-01-22 20:52 | サービス業万歳

はい元気です

健康観察ってありましたよね。
小学校のとき、朝から順番に名前を呼ばれて答えていくやつ。。。
返事と一緒にその日の体調などを言うやつ。
こないだその話題でお客様と盛り上がった。

私はというと、はい元気です。

仕事が変わって2か月ほどが経ちました。
仕事の内容そのものにはだいぶ慣れてきたと思いますー。

そして、とても楽しくやらせてもらっております。
仕事以外でお会いする方々にも、多くを語らなくても
「人生楽しんでる感が出てるよね。元気になったね。」
と言われることが増えました。
生気が戻ってきたらしいです。

でも、まだまだ慣れないこともいくつか。
それは、たくさんの仲間がいることと、人から感謝されること。
相手の目に自分が映り、ありがとうと言われることに、よく戸惑って
おります。
いいことなのに、いつも動揺している。
なんでなんだろうと思ったら、やはりその裏側には
「私はそんな風に言ってもらえるような人間じゃない」
という相当卑屈な感情があるからでしょう。
自分がこれまでにしてきた失敗、逃げてきたもの、拒絶したいもの、
等々が脳裏をよぎって硬直してしまいます。

場所が変われば周りからの評価も変わるんだなーと実感するところ
であるのですが、その評価とやらが良すぎるような気がして、自分に
自信もないし、素直に受け止められていないなぁって感じます。
嬉しいのに、いまひとつ嬉しがることができてないというか。

だけど、そういうのも少しずつナシにしていきたいですね。
せっかく「自分を赦す」ってことを覚え始めた今日この頃。
好きな人たちからの、嬉しい言葉に、思い切り浸れるようになりたいです。
敬愛する仲間からの嬉しい言葉を飲みこめないというのは、相手に対しても
失礼だと思うし。

好きな人たちがイイと言ってくれる自分を、自分も好きでいたいっす。
自分を愛していない人間に愛されたくはないだろうし、
自分を赦してない人間に赦されても…というか。

愛とか赦しとか信頼とかいうものは、自分自身に対してもそれらを
抱ける人が発することによって、いっそう他者に響きうるもの
なのではないかと。

己の如く隣人を愛せよという言葉がありますけど、
隣人の如く己を愛せよって感じです。

こういう、自己愛自尊心自己肯定感の発達がかなり遅れているあたり、
自分の未熟さを痛感します。
なので遅ればせながら、自己愛自尊心自己肯定感をヨシヨシと育てて
やりたいと思います。

小さないいことを積み重ね、「君にもできることがこんなにあるのだよ」
と自分に教えていくことによって。
# by misakikomatsu | 2013-07-10 21:01 | 日常
mixiってワードがもはや懐かしい。
大学の頃に友達に招待してもらって始めたなーと思い出す。
暇だったからなのかなんなのか、毎日日記書いてました。ヘビーなユーザーでした。
楽しかったよ。

そんなmixiも今やオワコン(終わってるコンテンツ)とか言われて久しく。
確かにmixi開く回数も時間も学生の頃に比べたら格段に減った。
twitterやFacebookを開いてる回数や時間が圧倒的に多い。
学生の頃はmixiが「みんながいるところ」だったけど今は違う。
twitterやFacebookのほうが「みんながいるところ」感がある。
携帯の連絡先知らない人に連絡しようと思ったら、もう見てないかもしれない
mixiよりtwitter・Facebookのほうが当然スムーズだし。
ちなみにLINEは使っていない。なんか、なくても全然不便感じないし。

そんな今日この頃ではあるけど、オワコンmixiの”今だからこそ”生まれた
面白さを実感する出来事があって。
それは友人の出産日記であったり旦那や彼氏への深刻な愚痴日記だったり、
mixiで荒らしにあって、荒らし主へのマジレス日記だったり。
詳しくは書けないけど、mixi全盛期よりも生々しくてガチな日記が増えた気がする
のである。
そして私はそういうのを読むのが好きだ。人の苦労や不幸が好きなのではなく、
率直な言葉で淡々と、出来事とそれに付随する感情を綴った文章が好き。
そういうリアルで生々しい近況報告を求めてmixiを開いてる自分もいたりする。
出産報告はほんとに痛そうすぎて、最初に膝が笑い、次に口から笑いが漏れた。
読んだ人に対して目に見える身体反応すら呼び起こす、mixi日記のパワーたるや。

多分、Facebookとかに人が流れてっちゃって、mixiは過疎化が進んじゃって、
もう”誰も見てねーよ”状態ができあがってるんだろうな。
見てる人なんかそんなにいないだろうと思えるから、より私的なことを書ける。
Facebookやtwitterのアカウント持ってても、より私的なことはmixiに書くって
傾向がある気がする。
だってFacebookでは幸せそうな写真とか美味そうな食べ物の写真をあげてる人が、
mixiでは「いい加減にしろよコンチクショー」と言っていたりするのである。
そのギャップもまた…。
アクティブユーザーがmixiよりも断然多いSNSでは近しい人がたくさん見てる。
そこでは明るく前向きに振る舞おうとしてるのも見て取れて、共感共感。
一見順調に見える生活をしている人の悩みも知れて、声もかけられるから、
そういう面でも助かる。誰にも言えなくて爆発されるのが悲しいので。

言いたいことはどこかで言わないとね。
自分の心の中から外部に出力するだけでも、軽くなるものはあるし。
mixiはそういうはけ口として、使えるツールになってるのかもしらん。

そんなわけで、今こそmixiがアツイというお話でした。
私もなんか書こうかしら。日記。
# by misakikomatsu | 2013-03-17 20:33 | 日常

悲しみの総量 2013.3.11

「あ、”2年”って”あれ”から2年か!」
帰り道に電車に乗っていたら、そんな言葉が聞こえてきた。
声の感じでは、たぶん同い年くらいの男性だ。

今日は東日本大震災から2年が経ったという日。

電車で聞いたその言葉に、
「あぁ、今の今まで、すっかり忘れていたのかもしれないな」
と思った。
彼が言ったようなせりふを聞けば、悲しむひとも、憤るひともいるだろう。
”忘れないで”と思う人も多いだろう。

”忘れない”ことだけが全てではない。
思い出すことや、思い出すきっかけとなるものがとても大切だと思う。
そういう意味では、早くから”震災からまもなく2年”と繰り返し伝え、
特集を組むテレビや新聞の意味は大きい。
今日が”その日”だと言葉を交わす人の存在も大きい。
私もそのおかげで、今日が震災から2年が経った日だということを
意識しながら迎えられたと思う。

電車の中で声が聞こえた彼は、仕事が忙しくて、新聞やテレビの言っている
ことを聞いては忘れて、それよりも大事なことがたくさんあって、職場でも
震災は話題にのぼらなくて。そんな生活だったのかもしれない。
でも、彼は思い出した。

これは本当に勝手な推測だけど、そういう人はきっと多くて、それを責めることは
少なくとも私にはできないなぁと思う。
思い出すタイミングは、自由でいいとさえ思う。
長い期間が空いても、思い出し続けられれば。
いつ黙とうしてもいいと思う。1秒だっていいと思う。
長くはない祈りでも、小さな行動につながることもある。

2年という節目の日が訪れて、地震のこと、津波のこと、原発のこと、
あの日から大きな痛みと悲しみを背負ったであろうたくさんの人たちの
ことを考えてみるけど、想像は、とてもできない。
簡単に想像できてはいけない、想像したと思ってはいけない気さえする。
だから、想像するという努力は、今のところあまりしていない。
ただ、自分は何をするべきかなぁと思う。
計り知れない痛みや悲しみや苦しみや嘆きがあるのだ、ということを
前提に、だけど、少しずつ変わっていることもあるのだろうということも
ふまえて、何をしたらいいのか。

私は、ただ、近くの人たちを大事にしようという結論になった。

多きさや種類は違えど、痛みや悲しみはそこらじゅうに転がっている。
その、そこらじゅうの痛みや悲しみに、目を留めたいと思う。
被災地のことに胸を痛めている人の支えになれたら。
復興に携わる人の取り組みを少しでも広められたら。
大きな目で見て、震災によって生まれたつらさ、そして震災が関係していなくても
人がそれぞれ感じているつらさ、存在する悲しみの総量を少しでも
減らしていけたら。
大きなことではないし、自己満足かもしれないけど、そう思っている。
悲しみは、癒されてはまた生まれるものでもあって、減らしても減らしても
総量は変わらないのかもしれないけど。
激しく燃える炎にコップで水をかけるようなものかも知れないけど。

被災地に行きたいと思ってもお金や時間がなければ行けない。
被災地の人にとって、クリティカルに力になれるようなスキルもない。
だから何もしない、考えない、ということだけは、自分のなかでしたくない
ことだから。
持てる時間やお金やスキルを理由にしていては、足踏みのままだ。
そう思っている。

”忘れるな”は、すこし強い言葉だ。
”思い出して”のほうが、やさしくて、遠くまで届いて沁みこむ気がする。
思い出すことが、大きくはなくても何か行動につながれば。
一見、震災とは無関係のアクションだったとしても、悲しみの総量を
減らすことができれば。

それが、震災によって日常を損なわれることのなかった私にできる
ことだと考えている。

近くで聞こえた嘆きに、近くに落ちた涙に気付くこと。

失われた命、奪われた日常、心や体の痛み苦しみ。
欲張りながら、”あの日の全てに”と目を閉じる。

2013,3,11
# by misakikomatsu | 2013-03-11 21:26