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いいことも、わるいことも、なかったことにしたくない。


by misakikomatsu

悲しみの総量 2013.3.11

「あ、”2年”って”あれ”から2年か!」
帰り道に電車に乗っていたら、そんな言葉が聞こえてきた。
声の感じでは、たぶん同い年くらいの男性だ。

今日は東日本大震災から2年が経ったという日。

電車で聞いたその言葉に、
「あぁ、今の今まで、すっかり忘れていたのかもしれないな」
と思った。
彼が言ったようなせりふを聞けば、悲しむひとも、憤るひともいるだろう。
”忘れないで”と思う人も多いだろう。

”忘れない”ことだけが全てではない。
思い出すことや、思い出すきっかけとなるものがとても大切だと思う。
そういう意味では、早くから”震災からまもなく2年”と繰り返し伝え、
特集を組むテレビや新聞の意味は大きい。
今日が”その日”だと言葉を交わす人の存在も大きい。
私もそのおかげで、今日が震災から2年が経った日だということを
意識しながら迎えられたと思う。

電車の中で声が聞こえた彼は、仕事が忙しくて、新聞やテレビの言っている
ことを聞いては忘れて、それよりも大事なことがたくさんあって、職場でも
震災は話題にのぼらなくて。そんな生活だったのかもしれない。
でも、彼は思い出した。

これは本当に勝手な推測だけど、そういう人はきっと多くて、それを責めることは
少なくとも私にはできないなぁと思う。
思い出すタイミングは、自由でいいとさえ思う。
長い期間が空いても、思い出し続けられれば。
いつ黙とうしてもいいと思う。1秒だっていいと思う。
長くはない祈りでも、小さな行動につながることもある。

2年という節目の日が訪れて、地震のこと、津波のこと、原発のこと、
あの日から大きな痛みと悲しみを背負ったであろうたくさんの人たちの
ことを考えてみるけど、想像は、とてもできない。
簡単に想像できてはいけない、想像したと思ってはいけない気さえする。
だから、想像するという努力は、今のところあまりしていない。
ただ、自分は何をするべきかなぁと思う。
計り知れない痛みや悲しみや苦しみや嘆きがあるのだ、ということを
前提に、だけど、少しずつ変わっていることもあるのだろうということも
ふまえて、何をしたらいいのか。

私は、ただ、近くの人たちを大事にしようという結論になった。

多きさや種類は違えど、痛みや悲しみはそこらじゅうに転がっている。
その、そこらじゅうの痛みや悲しみに、目を留めたいと思う。
被災地のことに胸を痛めている人の支えになれたら。
復興に携わる人の取り組みを少しでも広められたら。
大きな目で見て、震災によって生まれたつらさ、そして震災が関係していなくても
人がそれぞれ感じているつらさ、存在する悲しみの総量を少しでも
減らしていけたら。
大きなことではないし、自己満足かもしれないけど、そう思っている。
悲しみは、癒されてはまた生まれるものでもあって、減らしても減らしても
総量は変わらないのかもしれないけど。
激しく燃える炎にコップで水をかけるようなものかも知れないけど。

被災地に行きたいと思ってもお金や時間がなければ行けない。
被災地の人にとって、クリティカルに力になれるようなスキルもない。
だから何もしない、考えない、ということだけは、自分のなかでしたくない
ことだから。
持てる時間やお金やスキルを理由にしていては、足踏みのままだ。
そう思っている。

”忘れるな”は、すこし強い言葉だ。
”思い出して”のほうが、やさしくて、遠くまで届いて沁みこむ気がする。
思い出すことが、大きくはなくても何か行動につながれば。
一見、震災とは無関係のアクションだったとしても、悲しみの総量を
減らすことができれば。

それが、震災によって日常を損なわれることのなかった私にできる
ことだと考えている。

近くで聞こえた嘆きに、近くに落ちた涙に気付くこと。

失われた命、奪われた日常、心や体の痛み苦しみ。
欲張りながら、”あの日の全てに”と目を閉じる。

2013,3,11
by misakikomatsu | 2013-03-11 21:26